疎外感とアイデンティティ、我慢と自制
「人ごみの中で孤独を感じることがあっても、自然のなかで孤独を感じることはない」
という言葉を、昔好きだったマンガで読んだ。
一緒に本を作った35歳年上の男性は、街のネオンが故郷だと言った。
シアトルで育った友達は、銀杏の落葉に飛び込んだ幼少期の思い出を語った。
郊外出身の私の放課後の遊び場は、ショッピングセンターだった。
アイデンティティは人それぞれ。
電車で疲れた表情の仕事帰りの人たちを見ると、自分は一人じゃないなと変な連帯感をおぼえる。
地球の裏側で出会った友人が「周囲とのギャップ」について語ったとき、自分の孤独を共有できた気がした。
はたから見ると孤立している人が、内面ではとても充実していることがある、という考えについて、私は深く賛同する。
大事なものは目に見えない。
最近、我慢と自制について考えて、自分のなかで実験してみました。
たぶん我慢って「自分の気持ちに反して無理してやること」で、自制は「納得して自主的にやること」なんだと思うんです。
そして実際やってみて気づいたことがあって。我慢と自制、それぞれの行為後の感情が違うなと。後味というか。
我慢したあとって「やっぱり我慢したくなかった、つらい、疲れた」なんですけど
自制したあとって「やめてよかった、案外疲れない、達成感、うれしい」なんですよね。
目に見える結果は一緒でも、自分のなかでの感覚や感情は全然ちがう。
やっぱり、大事なものは目には見えないんだな。
ものすごい、つぶやき感がすごいんですが、このへんで今日は失礼しますね。