Besitos

愛または笑いを込めて

武士道「朝夕死ぬ」とは

 仕事が間に合わない、読まなければいけない資料の内容がどうしても頭に入ってこない、時間を作っても集中できない―—

そんなことはありませんか?

特に外出制限が続き、在宅勤務やステイホームが増える現在、仕事やメンタルのセルフマネジメントは重要性を増しています。

 

デスクワークでとにかくPCモニターを見ている時間が長いMATSUKOは

紙の本を読んで気分転換を試みたりします。

 

そんな気分転換の読書で『ハートフルネス』

を読むと筆者の曾祖父の名言が。

「毎日朝夕ごとに、わしは自分が死んだものと思って死を見つめる。

そうして心を静めるのだ。体がすでに死んだとして生きることができれば、

より良く生きられるのだよ」(P.26)

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リスクを恐れず、集中して今を生きろということでしょうか。

 

関連して三島由紀夫氏の『葉隠入門』(新潮文庫)をめくり

「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」(P.105)

を再読。曰く、生死二つのうち、早く死ぬ方を選ぶのが武士道であると。

生を選んだ場合、腰抜けとそしられることがあるが、

死を選んでさえいれば、恥にはならない。それが武士道の本質である。

 

 

以前書籍編集者をしていた頃、出かける時は絶対に部屋の中を完璧に綺麗にすると明言されていた経営者がいました。

彼もやはり死んだ後の「見られ方」に重きを置いており

「事故か何かで万一死んで、知らない人が家に入った時、汚いと嫌だから」

とのこと。

 

当時は「死んでしまえば自分の意識なんてないのに」と思っていましたが

つまり視点を「自分」に置くか、「外部の世界」に置くかで、

短い人生を思えば、ちっぽけな自我に固執することなく

美徳と誇りを貫くのも一つの生き方なのだと感じたところです。

(美徳や誇りも自我に過ぎないという議論は置いておいて・・)

 

とにかく、限られた時間の中でくよくよ悩んでいる場合ではない!

とりあえず夕飯でも作るか・・・と近所のおじちゃんから買った飛騨かぼちゃ(スーパーでよく見るタイプよりも長細い)を煮込み始めたMATSUKOなのでした。

 

潔く生きるって、難しい。