Besitos

愛または笑いを込めて

東京で働きはじめました

昨年9月に日本へ帰国しました。

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空港で受けたPCR検査は陰性で、2週間の自主隔離を経て実家へ。

大学院のオンラインコース、卒業プロジェクト、卒業試験を終え、年末に無事卒業。

2021年からは東京で、ODAにかかわる仕事を始めました。

 

フィリピンとコスタリカの大学院(オンラインふくむ)で勉強した22ヶ月を振り返るにはまだまだ時間がかかりそうですが、

仕事1週目を終えて、感じたことを書き記したいと思います。

 

①国際協力を仕事にすること

大学院卒業とともに平和構築関連の仕事をするようになりました。ちょっとここで経緯を振り返ってみたいと思います。

20歳でフィリピンの養護施設でボランティアをして以来、貧富の格差を是正する、国際協力の仕事をいつかしたいと願うようになりました。

経済学を専攻していたこともあり、学部時代は貧困問題・経済開発に関心を持ちました。

同時に書くことや人にインタビューすることへの興味があり、記者や編集の仕事に憧れていました。

しかし新卒でそれらの夢はかなわず金融の仕事へ就いたものの、やはり合わずに1年ほどで辞め、書籍編集の仕事を3年ほどしていました。

そこではおもに企画力やプレゼン力、忍耐力などを養い(重要)退職、フィジー青年海外協力隊(広報)に参加しました。

フィジーではパンフレット作成など色々な経験をさせてもらったものの語学ふくむスキル不足を痛感し、海外大学院を希望するように。

また気候変動ふくむ環境問題に関心を持つようにもなり、国際協力のなかでも環境保護サステナブルな開発に携わりたいと考えるようになりました。

受験準備中は、東京に事務所がある国際環境NGOで広報の仕事をさせていただきました。

そこでは使い捨てプラ問題をおもに担当、環境問題や市民活動について理解が深まりました。

そして、大学院では国際政治と環境平和開発を専攻。

卒業後はぼんやりと、日本の脱炭素ふくむ気候変動問題に関する仕事をしたいなと考えていたところ昨年10月に菅総理が脱炭素を宣言、突然のことで衝撃でした。

そしてご縁あり、環境とは違う分野ですが、2021年からはメディア関連の経験を生かし平和構築の仕事をさせていただくことになりました。

 

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国際協力、環境問題、平和構築というのは、非常に長いタイムスパンで見ていく必要があると考えています。

また、さまざまなステイクホルダーがかかわっていくなか、絶対的な答えがない分、批判もされやすく、自分のなかでの葛藤も生まれやすいものだと感じています。

プロジェクトが大きくなればなるほど当然ながら影響力も大きく、一つの理念だけではデザインしていけないようにも思います。

たとえば日本政府の脱炭素の目標もあり、ようやく石炭火力の輸出からの撤退が進んできています。

個人的にその動きは歓迎ですが、現行のプロジェクトや現場の人たちへの影響がもちろん心配です。

平和構築もおそらく一つの答えがあるのではなく、そのプロセスを通じて答えが示されていくものなのでしょう。

という視点は平和で豊かな場所に住んでいるから持てる余裕で、よく言われる通り、平和が保証されていない状況にいる人たちにとっての平和は

「子どもが無事に学校に通えること」

「今日のご飯を心配しないでいいこと」

であったりするのだろうと想像します。

できるだけ想像力を駆使したいけれども、同時にその限界を自覚し謙虚でいたいと思うところです。

 

②時間について

ところで最近、時間が経つこと、人生を長く生きることのポジティブな面を見ることが多いです。

つまり、回り道したのかもしれないけれど、結局、いくべきところに行きつかせてもらってるな、という実感です。

 

最近Trevor NoahのBorn a Crimeをオーディオブックで聞いていて、特に印象に残ったエピソードが、やっぱり「時間」について。

長らく自分と母から距離を置いていた父と、大人になったTrevorが久々に再会するシーン。

感動的な再会を果たし、父のことを知りたいといくら質問攻めにしても、彼はTrevorの質問に答えてくれません。

これまでの離れていた時間を埋めるように、スポーツ観戦やドライブなどに出かける二人。

それでも父は、自身についてちっとも語らないのです。

ついにTrevorは言います。

「パパ、なんで全然質問に答えてくれないの?」

「お前は人について知るとき、どうする?」

「時間をかけてその人を知っていくよ」

「そうだろう。だから今日一緒に過ごして、お前も俺についてわかったはずさ」

「全然わからないよ!わかったのは、パパが異常に秘密主義者だってことくらいさ」

「ほら、お前、俺について理解してるよ」

 

たしかこのような感じの会話があって(ちょっと違ったらごめんなさい)

なんだか含蓄のある言葉だなぁと。

 

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また、自分が死んだ後の世界に想像をめぐらせることで、時間について肯定的になれるのかもしれないとも思います。

気候変動の問題も平和もすべてを目撃することはできないけれど、できるところまではがんばってみよう、って感じです。

 

最近なんだか書く力、表現力の衰えを感じてまして(元々か)

でも書くことは好きだし一生愛していきたいので、書いてみました。

 

どうもお付き合いいただきありがとうございました。