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愛または笑いを込めて

【まとめ】フィジー観光業の現状と課題~太平洋の島々として~

こんにちは、MATSUKOです。

 

25才くらいまでは(たかが3年前か・・)「一気に階段をダッシュで駆け上がって誰より早く頂上に着きたい」なんて考えていましたが

今では「ゆっくりでも自分が心から楽しめる道を見つけるのが一番」と心境が変化してきています。

なんて凡庸な人間なんだと恥ずかしくなる一方、別に相対的なことは関係ないと割り切れる自分がいます。

 

前書きが長くなりました。

 

現在、改めて残り3カ月の活動計画を作っています。

そこでフィジー観光業の現状と課題について見直すことにしました。

すると、大枠から再考することが有意義だと気が付いたのでこちらのページでまとめてみます。

 

はじめに フィジーを考える前に知っておきたい「太平洋諸島」

フィジーにいると「彼はポリネシア系だから」などという言葉をよく耳にします。

フィジーは太平洋諸島で経済的・政治的にリーダーシップをとっており、周辺諸国からの移住者も数多くいます。

あれ? ところで「ポリネシア」って何だっけ??

 

太平洋諸島は、メラネシアポリネシアミクロネシアという3つの文化圏に分けられています。

こちらを確認しておくと、フィジーの知識が深まること間違いなしです。

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ミクロネシア(赤)、ポリネシア(紫)、メラネシア(青)

(参照https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2

フィジーはメラネシアに分類されることがわかりますね。

こちらの記事を参考にさせていただきました。

メラネシア・ポリネシア・ミクロネシアとは?意味は?場所はどこ?国は?【地図で確認】 | 天国に一番近い個人旅行

 

さて、この先は以下の記事を参考にまとめております。

142-太平洋諸島地域における観光業の現状と課題 | 一般社団法人太平洋協会

 

1.太平洋諸島地域の観光業とは?

 フィジー、パラオ、トンガなど、太平洋に浮かぶ島々は地理的な問題から産業成長に限界があるといわれてきました。地理的な問題とは、国土が狭いうえに離れて拡散しているのに加え、国際市場から隔離されていること。

そこで、主要産業として観光業が重視されてきたのです。

 

2.太平洋諸島地域の観光業が直面する課題と背景

一般的に太平洋諸島は、観光客から「南の楽園」など開放的なイメージで一括りにされています。

しかし実際には、国土(サンゴ礁、火山)の面、民族(単一、多様)の面からもさまざまです。とくに、以下の3点は考慮するべき課題といえます。

(1)植民地時代における多大な影響:土地問題

太平洋諸島地域は、15世紀なかばから17世紀なかばまで続いた大航海時代以降、キリスト教の導入や帝国の植民地分割の影響を受けてきました。

現在では、大規模な土地所有をともなう経済開発を行う場合に、しばしば土地問題が起こり、プロジェクトが進展しないという問題もあります。

(2)世界大戦と冷戦の影響:交通インフラ・生活文化・安全問題

第1次・第2次大戦で太平洋諸島は戦乱に巻き込まれました。

とくに第2次大戦ではミクロネシアメラネシア地域を中心に日米間で多くの戦いが繰り広げられ、各地には飛行場や港が整備され、多くの軍人が送り込まれました。

このような戦争にともなう物資や軍隊の導入が娯楽施設の建設を促し、各地域に急激な物質文化を持ち込んだのです。これらは輸送費とあいまって、今日の高い物価を引き起こしています。

冷戦下では米・英・仏による核実験が実施され多くの住民が強制移住を余儀なくされました。第2次大戦以降も欧米諸国の安全保障政策のなかで、各地に軍事基地が残されました。

その後米・仏両国を中心に、同軍事基地を結ぶように航空・船舶路線や慰安施設などが開発されました。現在の太平洋諸国を結ぶ航空路線は戦後の安全保障体制下で作られた軍事拠点を結ぶ交通網に準じて作られています。

(3)宗主国への独立後の経済的依存

1962年の西サモア(現:サモア独立国)に始まり、70年代から90年代初めにかけて多くの太平洋の島々が独立しました。(フィジーは1970年)

しかし、実際には貿易の基本的条件や国内の法体制が旧宗主国にならって作られていることなどにより、否応なく宗主国に経済的に依存しています。

観光の面でも、宗主国からの観光客に依存している面は否めません。

 

また近年ではテロやクーデターなどによる治安への不安から、観光客が減少する例もあります。

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3.太平洋諸島における観光の歴史と現状

 太平洋島嶼地域の観光業のはじまりは、1930年代のフィジーでの動きです。

南太平洋地域における蒸気船の交通路線のハブとなっていたフィジーでは、このころ貿易業者や植民者のためのホテル建設が始まりました。

第2次大戦後は西洋人たちによる観光開発が進められ、1970年代になってフィジーを訪れたのがオーストラリア・ニュージーランド・ヨーロッパからの観光客たち。

1988年には日本航空による日本・フィジー間の直行便が開始され、日本からハネムーン利用の観光客が増加しました。1990年代後半に、その規模は4000人を突破。

しかし2000年代後半には日本からの観光客は減少、中国からの観光客が増えました。これを受け、2009年には成田・ナンディ間の直行便が廃止。ナンディ・香港間の運行がスタートしました。

20世紀の終わりになると、フィジーは世界有数の観光地として認識されるようになります。

 
4.太平洋諸島・観光タイプの二極化
地理的、政治的背景により太平洋諸島の観光は以下の2つに分かれています。
(1)国家レベルでの大規模なマス・ツーリズム
(2)国内の社会資本や制度を基本としたエコツーリズム
 
(1)国家レベルでの大規模なマス・ツーリズム では、現地の観光にともなう利益は外国資本に奪われ、地元企業や住民にはほとんど得をしないと批判されます。むしろ外国資本による開発は、環境破壊などの物質的に被害を与えるものだと批判されることもあるのです。
(2)国内の社会資本や制度を基本としたエコツーリズム は地元に持続可能な成長をもたらす観光の形であると考える人がいる一方で、近年、外国資本を導入しながら国内の観光産業を成長させようと主張する人々が出てきています。
 

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5.フィジー観光省の狙い
2017年2月に観光省より発表された『Fijian Toursim 2021』によると、2015年にフィジーを訪れた観光客は75万人を超え、15億ドル以上の収入をもたらし、11万人以上の雇用創出を実現したそうです。
これはフィジーの国内生産の29.9%にあたり、国内の最大産業といえます。
 
2021年までには収入を22億フィジードルまで増加させることを目標としています。
そのために、以下の3つを目指しています。
(1)訪問客の支出を増やし、観光収入を増加させること。
(2)増加する観光客を受け入れる環境の整備。
(3)観光セクターの成長をサポートすること。
 
上記の3つを軸に具体的なテーマを掲げていますが、今回は詳細を割愛します。
 
かなり大ざっぱにまとめると、フィジーは国全体で観光業の促進をしていこうとしているのです。
その実現のために、日本人であるMATSUKOができることは何だろうか・・・
 
それでは失礼します~